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岡山地方裁判所 昭和30年(行)1号 判決

原告 橘健二

被告 吉備郡高松町選挙管理委員会

主文

原告の請求を、棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、旧岡山県吉備郡高松町臨時選挙管理委員会が、昭和三〇年一月二七日付で、神戸駐在アメリカ合衆国総領事館に対してなしたる原告が(一)昭和二一年四月一〇日施行の衆議院議員選挙、(二)昭和二二年四月五日施行の岡山県知事選挙、(三)昭和二二年四月二〇日施行の参議院議員選挙、(四)昭和二二年四月三〇日施行の岡山県議会議員、加茂村議会議員選挙、(五)昭和二三年一〇月五日施行の岡山県教育委員会委員選挙の各選挙(以下本件各選挙と略称する)に投票した旨の証明行為を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする、との判決を求め、その請求の原因として、原告は大正一四年五月二六日(西暦一九二五年)アメリカ合衆国ワシントン州ライルで出生し、アメリカ合衆国市民権を有する者であるが、昭和七年九月来日し、爾来今日まで滞日し、その間昭和一五年四月頃から、昭和二四年六月九日頃まで、岡山県吉備郡高松町大字新庄(旧都窪郡加茂村大字新庄)石井俊次郎方に居住していたが、帰米するため、昭和二七年一二月一八日、神戸駐在アメリカ合衆国総領事館に、旅券下附申請をしたが、現在に至るも、右旅券は下附されず、そのため帰米できない状態である。ところで、右総領事館が、原告に旅券を下附せず、原告の帰米を許可しないのは、旧吉備郡高松町臨時選挙管理委員会が、総領事館に対し、左記の如き虚偽違法な証明行為をしたことに因るものである。

即ち、アメリカ合衆国市民権を有する者でなければ、帰米し得ない訳であるが、同国「国籍喪失法」(一九四〇年立法)第四〇一条によれば、外国の政治的選挙に投票した者は、同国市民権を喪失する旨規定している。原告は、昭和二一年二月頃、当時日本に滞留中の従妹訴外赤木しのぶから、選挙に投票すれば、帰米できないから、投票しないよう注意を受けていたので、滞日中、本件各選挙は勿論、一切の政治的選挙に、投票していないにも拘らず、前記高松町臨時選挙管理委員会は、前記総領事館の照会に対し、昭和三〇年一月二七日付を以て、原告が、本件選挙に、投票した旨、虚偽の証明をしたのである。このため、原告は、アメリカ合衆国市民権を喪失したものとして取扱われ、ために旅券が下附されないでいるのである。

しかして、前記高松町臨時選挙管理委員会は、その後町村合併により、被告委員会と改称承継されたので、被告委員会に対し、前記虚偽違法な証明行為の取消を求めるため、本訴に及んだ旨陳述した。(立証省略)

被告代表者は、主文第一項同旨の判決を求め、原告の主張事実中、旧吉備郡高松町臨時選挙管理委員会が、昭和三〇年一月二七日付で、神戸駐在アメリカ合衆国総領事館に対し、原告が本件各選挙に、投票した旨の証明行為をしたこと、及び右高松町臨時選挙管理委員会が、その後町村合併の結果、被告委員会と改称承継された事実は認めるが、その余の事実は、不知と述べた。(立証省略)

理由

成立に争のない甲第二号証証人石井俊次郎、石井猛の各証言及び原告本人の尋問の結果を綜合すると、原告は大正一四年五月二六日アメリカ合衆国に生れ、合衆国市民権を有する者であるが、幼少の頃叔父に伴われて日本に来、昭和一五年四月から同二四年六月頃まで岡山県吉備郡高松町大字新庄の石井俊次郎方に居住し、その後は岡山市に転住し今日に至つていることを認めることができる。そして昭和二一年四月一〇日衆議院議員選挙、昭和二二年四月五日岡山県知事選挙、同年四月二〇日参議院議員選挙、同年同月三〇日岡山県議会議員選挙及び加茂村議会議員選挙、同二三年一〇月五日岡山県教育委員会委員選挙が施行されたことはいずれも当裁判所に顕著な事実であり、旧岡山県吉備郡高松町臨時選挙管理委員会(その後町村合併により被告委員会と改称)が昭和三〇年一月二七日付書面で神戸駐在アメリカ合衆国総領事館に対し原告が右各選挙に投票した旨の証明をしたことは当事者間に争がない。

原告は、アメリカ合衆国国籍喪失法第四〇一条には外国の政治的選挙に投票した者は市民権を喪失する旨規定してあるところ、右管理委員会は原告が右選挙に投票した事実がないのに拘らず、投票したと虚偽の証明を神戸駐在アメリカ合衆国総領事館に対してした結果、原告が帰米のため右総領事館に旅券の下附を申請したのに対し未だに旅券の下附を得られないので、原告は右管理委員会を承継した被告に対し右証明行為の取消を求めると主張し、アメリカ合衆国国籍喪失法(Loss of nationality, Act of 1940)第四〇一条には「出生と帰化の如何に拘らず米国国籍を有する者は外国の政治選挙に投票し又は外国領土の主権を決定すべき選挙若しくは国民投票に参加した場合米国国籍を喪失する」と規定してあることは成立に争のない甲第九号証により明らかであるから、先ず原告が果して本件各選挙に投票したかどうかを検討する。

真正に成立したと認める甲第三号証の一、二(訴外赤木しのぶの供述書)第四号証の一、二(訴外橘峯子の供述書)には、原告の従妹にあたる赤木しのぶは昭和五年九月頃から同二四年一二月頃まで日本に滞在していたが、昭和二一年三月頃原告に対し日本で選挙に投票すると米国市民権を剥奪され帰米できなくなるから選挙には投票しないように注意したので多分原告は投票しなかつたらうと思う旨の記載があり、原告本人は本件各選挙には投票しなかつたと供述し、証人石井俊次郎、同石井猛も右の事実を裏付けるような証言をしているけれども、右供述等は後記証拠と対比してにわかに信用できない、却つて公文書であるから真正に成立したものと認める乙第一ないし第三号証(いずれも選挙人名簿)及び証人練尾柳次郎の証言を綜合すると、前記加茂村の選挙管理委員会の執つた、各選挙の投票日における選挙人の投票場内への入場の手続としては、選挙人が、投票場入場券を持参して、投票場へ来た場合、先ず、受付係において、右入場券記載の番号と衆議院議員選挙人名簿(該名簿は衆議院議員選挙以外の選挙にも使用される)の当該選挙人番号とを照合し、本人であるかどうかを確めた上、右入場券と引換えに、右選挙人に、到着番号票を手渡すとともに、右選挙人名簿の当該選挙人欄に、筆軸の朱の丸印を押し、当該選挙人が、投票のため、投票場に来たことを明確にしていたこと、選挙人は、右到着番号票を、次の係の者に提出して投票用紙を受取り、その用紙を使用して投票をしていたこと、そして右加茂村選挙管理委員会の昭和二〇年一一月一日、同二一年一〇月一〇日、同二二年九月一五日各現在調製の衆議院議員選挙人名簿の原告該当欄には、本件各選挙につき、前記筆軸の朱の丸印が押されていることが認められる。

思うに、前段認定の如き選挙事務の取扱において、受付係が、入場券持参の選挙人と、選挙人名簿記載の当該選挙人との照合を誤り、当該選挙人以外の者の欄に、前記の如き丸印を押す等の過誤を犯すことが、絶無であるとは、断言し得ないであろう。したがつて、前記認定の如く選挙人名簿の原告欄に、前記丸印が押捺されているからと言つて、直ちに、原告以外の者が、入場したのに、原告が入場したものとして押印された過誤が、無いとは、軽々に断じ得ないが、飜つて前記乙第一ないし第三号証及び証人練尾柳次郎の証言を仔細に検討して、考察すると、本件各選挙は、昭和二二年四月三〇日に、岡山県議会議員と、加茂村議会議員の両選挙が同時に施行された外は、いずれも日時を異にして、施行されておるのであるから、選挙人名簿の原告欄に押捺されている丸印も、右昭和二二年四月三〇日施行の両選挙以外は、すべて異つた各選挙投票日に、各別に、押印されたものと認むべきものである。したがつて、受付係が、原告以外の選挙人と、原告とを誤り、原告以外の選挙人のために、選挙人名簿の原告欄に、前記丸印を押捺するが如き過失の重なる蓋然性は、極めて少いものと解すべきのみならず、前記選挙人名簿に押捺された筆軸の朱の丸印は前認定の手続を経てなされたものであること、殊に被告代表者谷口玄秀本人の「都会と異り加茂村の如きは住民の異動は少なく、選挙の受付係はその土地の様子をよく知つている人をあて、したがつて選挙人の顔を知つているので不正投票をする余地はなく、又本件各選挙において当時不正投票等選挙に関し問題がおきたようなことはない」旨の供述とを併せ考えると、選挙人名簿に記載してある原告以外の選挙人の欄に押捺すべき丸印を誤つて原告欄に押捺したとか或は投票場への入場又は押印に関し作為的な不正行為がなされた等特段の事情につき何等認むべき証拠の存在しない本件においては、本件各選挙には原告自身が投票場に到り、自ら投票したものと認めるの外はなく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

もつとも、原本の存在並にその成立に争のない甲第七、八号証によると、加茂村選挙管理委員長谷口玄秀が昭和二九年四月五日付で原告は本件各選挙に投票していない旨を証明している事実が認められるが、被告代表者谷口玄秀本人尋問の結果並に弁論の全趣旨を綜合して考察すると、昭和二八年三月五日加茂村選挙管理委員会から原告に対し原告が本件各選挙に投票した旨の証明書を交付したところ、その後原告から選挙に投票した事実があれば米国の国籍を喪失するのであるが、自分は本件各選挙に投票した事実はないのであるからその旨証明されたいと懇請があつたので、谷口は深く事実を調査することなく、原告の言葉を信用して昭和二九年四月五日右の証明(甲第七、八号証)をしたものであること、その後神戸駐在アメリカ総領事館から県選挙管理委員会を通じ被告に対し前記二通の矛盾した証明書が交付されている点を指摘し、いずれの証明が正しいのか再調査して報告されたい旨の申出があつたので、高松町臨時選挙管理委員会は再調査した上、昭和三〇年一月二七日右総領事館に対し本件証明行為をしたことが認められるので、右甲第七、八号証は毫も右認定の妨げとなるものではない。

そうすると原告が本件各選挙に投票していることは前認定のとおりであるから、本件各選挙に投票した事実のないことを前提として本件証明行為の虚偽不当を攻撃し、これが取消を求める原告の本訴請求は爾余の点につき判断するまでもなく失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 和田邦康 熊佐義里 村上明雄)

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